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クローン病&潰瘍性大腸炎通信-<3>

今回は炎症性腸疾患と妊娠の問題を取り上げました。我々の調査結果に文献的考察を加えてまとめてあります。 

炎症性腸疾患と妊娠

1)妊孕率 

潰瘍性大腸炎患者の妊孕率は、1960年代の調査では低いとされたが、1980年代の新しい調査では、妊娠可能な女性中の百分率として定義された妊孕率は約90%で、健常人の確率とほぼ同じであることが明かとされた。過去の調査での妊孕率が低かった理由としては細かい解析がなされておらず、患者が妊娠を望まなかった、大腸全摘術を受けた患者では妊孕率が低かった、効果的な治療が行われていなかった等の要素が含まれていたことが考えられる。妊娠を望んだ潰瘍性大腸炎患者の女性1人当たりの妊娠回数をその地域の健常人と比較したところ、その回数に差はなかったとの結果もある。  クローン病での妊孕率は潰瘍性大腸炎と異なり、健常人に比し低いとする報告が多い。クローン病は腸管の全層性の炎症性疾患であり、周囲臓器への炎症の波及、瘻孔形成あるいは肛門病変の合併率が高く、そのための骨盤腔内臓器への影響が理由の一つとして考えられている。クローン病の術後では妊孕率がほぼ正常水準まで高まったとの指摘がある。妊孕率が低いのはクローン病の本質的な異常に伴うものではなく、合併症との関わりが深いようである。

2)妊娠経過 

潰瘍性大腸炎、クローン病の妊娠経過に関しては、生児出生率、流産の率、合併症などにつき調べられている。 生児出生率は両疾患とも80〜90%であり、健常人の期待値に近い。わが国では筆者らの調査では80.5%であったが、長谷川らは66.7%、小林らは61.7 %と低率であった。自然流産の率は10%以下が多く、健常人に比し特に高率ではない。母体死亡率はかなり低く、両疾患妊娠での母体生命の危険性はない。わが国での生児出生率はやや低い傾向にあるが、この報告の中での人工流産の比率は、長谷川ら29.8%、小林ら21.3%、筆者ら17.1%と高率であり、人工流産の多さが原因と推定される。この点を加味すると、潰瘍性大腸炎、クローン病患者での妊娠経過は健常人と何ら変わりなく、支障ないものと考えられる。唯一の問題点はわが国で顕著であるが人工流産の点にある。筆者らの調査では、人工流産の理由は、薬剤の悪影響の心配、症状の悪化の不安などであった。 妊娠時の薬剤の影響、症状の変化については後に触れるが、現在のコンセンサスでは、潰瘍性大腸炎、クローン病における妊娠は正常な経過をたどり、人工流産は病状の経過、母体の健康に対して有益となりうるかは疑問であり、医学的理由で人工流産を行うことはひかえるとされる。  病期別での妊娠経過は、妊娠時緩解期と活動期で大きな違いはなかったが、実際は緩解期のほうがより良好な経過であり、特に重症例では生児出生の機会は低下し、手術を必要とする場合には、胎児のみならず母体の危険も伴うことから、可能であれば緩解期の妊娠がより望ましい。 潰瘍性大腸炎、クローン病患者妊娠の胎児に及ぼす影響も調べられている。死産、未熟児、先天性奇型の割合は低く、健常人の妊婦と差は認められなかった。

3)臨床経過に与える妊娠の影響 

筆者らの潰瘍性大腸炎患者の調査結果によると、妊娠時病期で活動期5例、緩解期33例の計43回の妊娠の解析であるが、妊娠経過中の症状の変化は、増悪37.2%と約3分の1に症状の悪化がみられたが、過半数の60.5 %は不変であった。妊娠経過中不変〜改善のみられた症例では48.1%が治療薬を内服していたが、悪化例では31.2%であり、症状悪化の一因子として妊娠に伴う治療中断の影響が考えられる。潰瘍性大腸炎、クローン病324症例を含む大規模な調査では、妊娠時緩解または軽症であった患者の約75%は変化なく、25%が悪化、妊娠時中等症または重症の患者では、49%が緩解または軽症となり、51%が中等症または重症のままであった。他の報告でも、緩解期の妊娠では約3分の1に再燃がみられ、活動期の妊娠では10.0〜45.0%に悪化が示されているが、改善例も15.0〜40.0%認められ、現在では、妊娠は潰瘍性大腸炎、クローン病の経過に必ずしも有害な影響を与えるものではないと結論されている。しかしながら約3 分の1の例では、自然経過あるいは治療の中断とその原因は特定出来ないが症状の悪化が伴うことは注意を要する。  妊娠経過時期による悪化の検討もなされている。妊娠を前期、中期、後期と分けると極端な差はないが前期に活動性がやや高くなる傾向にある。症状の悪化率が産褥期に特に多く、傷害を受けやすい時期との指摘がある。筆者らの調査によると、分娩後の症状の変化は、増悪24%、改善24%とともに約4分の1に変化がみられたが、不変は52%であり、産褥期に特に悪化する現象は認められなかった。最近の他の報告でも同様の結果が示されている。妊娠経過中に発病した場合は重症であることが多いと報告されたが、これも最近の調査では、薬物療法をしっかり行えば充分管理され、生児出産に導くことが出来ることが判明している。

 以上の成績より現在では、潰瘍性大腸炎、クローン病は妊娠に影響を及ぼすことはなく、また妊娠によって臨床経過に影響を受けることもなく、両疾患を有する妊娠可能女性は、妊娠を恐れるべきではないと結論される。4)薬物治療の影響 潰瘍性大腸炎、クローン病は難治性の慢性疾患であり、緩解期に到ってもなお再燃予防のため長期の薬物治療の継続が必要である。そのため妊娠に対する薬物の影響は最も心配される問題となる。薬物療法の詳細は省略するが、両疾患の基本薬剤はsulfasalazineとステロイドであり、免疫抑制剤、metronidazoleがこれに併用される。クローン病では成分栄養療法が選択されることが多い。

(1)sulfasalazine  

sulfasalazineは男性患者では不妊症の原因となることが指摘されている。sulfasalazine服用2ヶ月以内の患者では、精子の運動力が著しく低下し、2ヶ月以上となると全例精子の運動性の低下のみならず、一部の症例では密度、形態の異常も伴ったとされる。sulfasalazine 中止2ヶ月後には精子の運動性、密度は改善しはじめ、中止後平均2.5カ月で受精可能となった。その副作用の機序は明らかにされてないが、sulfasalazineの成分であるsulfapyridineの毒性が疑われている。sulfapyridineを切りはなした5-acetylsalicylic acid(5-ASA)の臨床応用が現在可能となりつつあり本副作用解除に期待されている。sulfasalazineを2ヶ月以上にわたり服用している生殖時期にある男性患者では、可逆性ではあるが不妊症となる危険性を考慮しておかなければならない。 妊娠経過に対する薬剤の影響を調べた結果では、治療群(sulfasalazine、ステロイドの両方か一方の使用)、無治療群で差はなかった。胎児に対しては催奇型性の影響が配慮されたが、筆者らの成績も含め、示されていない。sulfasalazine の血中吸収成分のsulfapyridineの催奇形作用の成績もみられていない。 サルファ剤が新生児の核黄疸を促進することが知られていたことより、sulfasalazine が母乳を通して新生児に悪影響を与えるのではと心配された。その後sulfasalazine は母乳中にほとんど移行しないがsulfapyridineは乳汁中に分泌されることがわかったが、 sulfapyridineのビリルビン遊離能は非常に小さく、sulfasalazine 服用中の母親より授乳を受けた新生児に病的黄疸が特にみられたとする報告はない。

(2)ステロイド  

動物実験で、妊娠初期のステロイド大量投与が、口蓋裂症などの胎児異常を生ずることがわかり、妊婦へのステロイドの投与はひかえられた。しかしながら、その後多くの理由により妊娠中ステロイド治療がなされた新生児の調査では、影響がみられなかった。潰瘍性大腸炎患者の調査でも、妊娠中ステロイド治療が続けられた群と使われなかった群に胎児異常の差はなく、一般人口での胎児異常の期待値と同等であった。

(3)免疫抑制剤  

免疫抑制剤はsulfasalazine 、ステロイドによる治療が不十分の場合に併用される。azathioprineは胎盤の通過性が証明されており、妊娠動物で先天性奇形も示されている。ヒトでの明確な催奇形性の報告はないが、多数症例での観察はなされてなく、炎症性腸疾患患者での報告もない。免疫抑制剤は一種の細胞毒物質であり、生殖に与える有害な作用は否定出来ないことより、妊娠を希望する患者での投与は避けるべきであろう。 (4)Metronidazole   Metronidazoleも難治例の特にクローン病の併用療法として用いられ、効果のみられることがある。Metronidazoleについても妊娠に対する多症例による臨床的報告はみられず、妊婦への使用はひかえることがすすめられる。 (5)成分栄養療法  クローン病の治療に成分栄養療法が有効であることが認められ、クローン病治療の第一選択治療法となっている。基本的に成分栄養自体は妊娠に悪影響を及ぼすとは考え難いが、必須脂肪酸、各種ビタミン、微量元素等、通常の食事に比し欠乏しやすい状況にあると思われる。長期の妊娠経過とその間の胎児の成長に与える影響についてはわずかな報告がみられるのみであり、今後の検討が待たれるところであるが、筆者らは完全成分栄養療法で治療がなされねばならない患者では、妊娠を待つよう指導することが良策と考えている。

 以上まとめると、

@潰瘍性大腸炎、クローン病自体は妊孕率への障害はなく、妊娠経過にも影響を与えない。

A潰瘍性大腸炎、クローン病の臨床経過は妊娠によって大きく影響を受けることはない。

B妊娠を希望するあるいは妊娠中の患者の薬物治療はsulfasalazine、ステロイドを基本ととして継続するとなり、炎症性腸疾患患者の妊娠は何ら問題ないと考えられる。しかしながら現実的には緩解期における妊娠が母子における負担が少なくより安全な分娩が期待されることより、筆者らは緩解期の妊娠を指導している。この際重要なことは維持療法として用いているsulfasalazine、ステロイドを継続することである。筆者らの調査では、症状の増悪、薬物の胎児への影響の心配より不幸にも人工中絶が行われていた。活動期にあっても重症でなければ妊娠継続は可能なこと、薬剤の心配はないことをよく説明し患者の不安を除き、不用意な人工中絶を行うべきではないことを付記したい。

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